櫻樹の塚・・~真塩紋弥・・たなか踏基・・最新刊
「櫻樹の塚」・・文明開化に引き裂かれた真塩紋弥・・たなか踏基・・最新刊 図書新聞刊 1600税
・枉寃旌表之碑(おうえんせいひょうのひ)の碑文、撰書・・真塩紋弥の物語
高崎環状線戸田書店高崎店を越えてすぐに, 三国街道の交差する下小鳥町西交差点から、100mほど西へ行った所に、「史跡 首塚入口」と書かれた標柱が立っています、・
・・・事件は約390年前の戦慄な事が、下小鳥村、全村虐殺される ・・・・高崎市下小鳥町は血に塗られた歴史が・・・枉寃旌表之碑、永遠に語り告ぐ為に、この碑を中心になってつくった人こそ偉大な歴史人であり引き継いだ下小鳥町内会方も崇高ですね。
以下、下小鳥町内会 碑文の全文
枉寃旌表之碑(おうえんせいひょうのひ)
この碑は、江戸時代初期高崎藩主松平丹波守康長のころ、下小鳥村のほとんど罪もない村人たちが藩の役人武士たちに殺戮されたという言い伝えをもとに明治34年建立された、慰霊碑である。碑文によれば、この事件は、藩主とその役人武士たちが、あまりにひどい政策を行ったことに対し、農民は強く反目する、そしてこれを怒った役人武士たちは、元和3年(1617年)正月4日、この村の老若男女全員を殺害してしまったというのである。そして殺害された村人たちの状況や心情を推量描写し、その心をいたみ万感をこめて霊を慰めている。撰文は真塩紋弥で群馬町生まれ、明治13年(1880年)秣場騒動の指導的役割を示した人という。口伝されている、この事件を裏づける資料は現在のところ発見されていない。碑裏の小さな自然石「三界万霊塔」は、昔からの供養塔であろうか。
下小鳥町内会より
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