初詣
水沢観音水澤寺から、白岩観音長谷寺へ・坂東33ヶ所札所、16番、15番札所、(1番鎌倉杉本寺から33番館山那古寺)・・鎌倉時代創建です、群馬県2ヶ所ない、
榛名神社と三角地点・・歴史的重要な地域であります、それから、約300年以上、山内上杉の家臣(国衆)、長野氏鷹留城、箕輪城そして高崎城(和田城)、群馬県西毛地域は、榛名神社及び水澤寺・長谷寺抜きにて(無視しては)、歴史的景観を語れません
・・冗談で高崎市旧市民ある方が榛名神社、榛名山のみ、観光の歴史のシンボルとして、合併でどうしても欲しいですねと、・・冗談ようなホントの事と言われたことがあります。・・そのくらい核心的重要です。
・元旦の上毛新聞のトップ紙面に国、県、市で重文4棟23億かけて、改修とビックニュース、特に国が本格に力を入れと・・旧榛名町育った人間として待ちに待った日です。
・いつも近くの八幡八幡様へ初詣ですが、めずらしく伊香保の水澤と、箕輪城、白岩の長谷寺に・・秘仏と言われたいる、十一面観音や確か中世の宝塔4基・・いつ見て素晴らしい




















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寛永1624からと読めますか、戦国時代、終わってすぐに、里見吉政の供養塔か
昨年里見の郷再発見伝ナンバー3冊子で「里見吉政戦功覚書」についてと竹井英文先生研究発表された、
下画像戦国時代の武士「里見吉政戦功覚書」・・館山市立博物館収蔵、里見吉政が寛永5年(1628)2月9日に息子である、里見金平・源四郎に・・里見吉政の自身の戦歴を書き綴った覚え書き・・吉政は天正5年(1577)生まれである。
・秋間に善応寺という寺がかつてあり、現在の山吹保育園の場所と思われます。・・、里見吉政この寺に最終的の葬られたそうです(寛永5年(1628)以後
・下秋間、新幹線榛安中駅開設為入り口道路ため、墓地移ってきて、整備された、里見家の墓、里見金三郎、や里見源三郎、の名あり、正面左に何かの供養塔、不明瞭ですが寛永・・年と銘文されているような、
・すくなくとも里見吉政同じ一族のお墓であることは間違いないです・・






