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2016年2月 9日 (火)

「毛呂田」は「室田」に名称変わる、いつから

.高崎市旧榛名町の「室田町」の名称について考える。
榛名山村、上室田村、中室田村、下室田村・・10世紀頃から中世榛名神社の文化圏です、がとくに榛名山村は秀郷流藤原氏の庶流、佐藤氏、小山氏、と土豪が綿々今でも土着しています・・
『榛名』はるな・ハンナ名称は一般的、渡来系とみなさんあえていいません、旧榛名町の室田町『室田』は『毛呂田』これもあえて、言明しません(いや知るよしみない)が昔の人は、何故、毛呂田を室田に名称変更したのでしょうか、古墳時代は『上毛野国』かみつけぬのくにと言われ現在でも「上毛新聞等々」とっても豊潤な土地な良い名ですが(太田市毛里田町や入間市毛呂田山等々全国あります)。

・注・・毛呂田の名が初文献に登場は・・応安4年(1368)榛名神社文書「沙弥某奉書」(室田町誌)だそうです、「室田」は文字初見は永正9年(1512)「上杉憲房禁制」(長年寺文書)。

・中室田大久保の滑川左岸の道一段高い所に岩井堂観音裏の大洞窟(穴)は「ムロタ・モロタ」ではないかと「室田」地名発祥の地ではないかと・・・今井英雄先生が〈ぐんまの地名〉で書いています。
・中室田大久保の吉祥寺旧地付近から大量の中世石造物発見されている、板碑3基、宝きょう印塔15基、五輪塔100基以上あった、まちがいなく有力な武士団の存在が綿々と・・長野氏の重臣、家臣団ではないかと(榛名町誌・資料編の中世から)

・大久保集落の最上段に石井氏の本家があり、一般的に大久保の砦(石井讃岐館)といわれ、鷹留城の外護の砦の位置づけであり、東北方鬼門に稲荷大明神があります。