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2016年11月14日 (月)

寛永と読めますか、板碑か

寛永と読めますか、板碑か 寛永と読めますか、板碑か 寛永1624からと読めますか、戦国時代、終わってすぐに、里見吉政の供養塔か 昨年里見の郷再発見伝ナンバー3冊子で「里見吉政戦功覚書」についてと竹井英文先生研究発表された、 下画像戦国時代の武士「里見吉政戦功覚書」・・館山市立博物館収蔵、里見吉政が寛永5年(1628)2月9日に息子である、里見金平・源四郎に・・里見吉政の自身の戦歴を書き綴った覚え書き・・吉政は天正5年(1577)生まれである。 ・秋間に善応寺という寺がかつてあり、現在の山吹保育園の場所と思われます。・・、里見吉政この寺に最終的の葬られたそうです(寛永5年(1628)以後 ・下秋間、新幹線榛安中駅開設為入り口道路ため、墓地移ってきて、整備された、里見家の墓、里見金三郎、や里見源三郎、の名あり、正面左に何かの供養塔、不明瞭ですが寛永・・年と銘文されているような、 ・すくなくとも里見吉政同じ一族のお墓であることは間違いないです・・

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