「榛名山」と「ハンナ山」
群馬県の榛名山は韓国の漢拏山(ハルラ山・叉ハンナ山)からで渡来人が名称と・・・群馬県立女子大学:熊倉靖氏がほぼ間違いないと言及しています。・・「東国文化シンポジュム」より
・今話題になっている、金井東裏遺跡(渋川市)出土の甲(よろい)着装人骨や日本のポンペイと言われる渋川市の黒井峯遺跡など、榛名山が大噴火していた6世紀中頃、渡来人が噴火の山をみて、済州島の噴火の山を漢拏山(ハルラ山)に連想して、ハンナ(榛名)山と・・
・榛名山という呼び方について、かの有名な尾崎喜左雄先生の説 『延喜式』(十世紀はじめ編さん)以降である、『延喜式』の中に、榛名神社とともに、伊賀保神社(伊香保神社)の名があり、もし、万葉の時代に、榛名という地名があったのなら、「伊香保嶺」という表現ほかに、「榛名」があってもよさそうなものであると・榛名神社と伊香保神社 両社とも、旧群馬郡に鎮座して、同一郡内に、有力な神社が、二つあることにおかしいのではと・・・
・高崎西部小の並び「剣崎長瀞西古墳群」 5世紀後半に第一世の渡来人居住と在来倭人と・・
・高崎下里見小の並びに下里見公民館(下里見宮谷戸遺跡)住居址内から「金床」が立ったまま発見、これも5世紀後半・・このように、上毛野西部地域は、馬飼育・鉄器生産など渡来人たちのおもな仕事としてし、ほぼ間違いなく、渡来人、帰化人、生活・活動していたと・・
(多胡碑が語る古代日本と渡来人 土生田純之・高崎市編 吉川弘文館刊 より)
・多胡氏・多胡神社 ・烏川 ・鏑川 ・甘楽 ・物部氏の貫前神社 他多数 ・・・そして榛名山・榛名神社と由緒ある名前・地名が1500年前から渡来人の(韓半島の先祖)名称からの・・・
そして里見郷・里見氏の先祖は原倭人と渡来人ではないかと・・・
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