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2013年7月14日 (日)

高崎市里見町は東国有数の豪族がいた

古墳

高崎市里見町(上・中・下里見)は東国有数の豪族がいた、・・古墳時代6世紀末1400年前に高崎市観音塚古墳の60トンの巨石、15メートルを超える石室・・・巨石運搬・・里見石だった(石が注目されますが約300点30種副葬品もスゴイ)、清和源氏、里見氏一族の祖先の原倭人か渡来人(烏川・鏑川・多胡氏そして、榛名山(ハンナ山)他、皆韓半島渡来系名称残る)・・・奈良の石舞台と双璧の群馬の石舞台と呼ばれています。

・高崎市八幡町には、全方後円墳が観音塚古墳が・平塚古墳・二子山古墳の三基、安中の簗瀬に簗瀬二子塚古墳、高崎経済大の近くに、今はないですが、上並榎稲荷山古墳、皆100M級、計5基・・・首長級古墳群ではないか、

 観音塚古墳から半径3~6キロメートル八幡霊園の中の若田原古墳群・西部小の剣崎長瀞古墳群、国道406号から群馬八幡駅行く、左側歯医者さんから文具屋さんの間が剣崎天神山古墳(なんでもこの道は古東山道駅路とも)、左右石に積まれた住宅、今も残っています。

・・・烏川をはさんで,国道406号、下里見の郷見神社も古墳そのもの、中里見の丘陵地(果樹園)古墳群です、・・そして今回の骨子最大は、下里見町、フルーツ団地内、天神山(冨久樹園さん)、観音塚古墳等々里見石の産出地ではないかと、・・・そしてその天神山は・・

渋川市の宮田不動明王立像(国重文は1251年(建長3年)この地の領主・4代目、里見氏義(新田一族)の発願により、渋川市旧赤城村宮田の地に建立安置された、、里見一族は南総里見八犬伝の祖先・・・なんと高崎市下里見町の天神山の産、なのです。里見氏の宝である、宮田不動明王立像は760年前、里見氏発祥の地の里見町の天神山(安中市と高崎市の境)から産出、聖なる場所、あることがほぼ判明・・

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