菅谷大壱寺宝塔
南北朝時代 三基宝塔旧群馬町 菅谷大壱寺宝塔
康永2(1380)年、永和9(1383)年、明徳4(1393)年の銘を持つ3基の宝塔で、南北朝時代に当地域に勢力を持っていた豪族が存在したことを示します。いずれも高さ100センチメートル前後、相輪・笠・搭身・基礎の4部分に分かれています。・・・・新田義貞が活躍していた時代です、高崎市は中世の遺跡が無いと良くいわれますが、
とんでもない、ちょっと問題関心もてば、中世の五輪塔、宝塔、などの石碑群がゴロゴロしています、菅谷の近くに
来迎寺にある長野氏累代の墓や
高崎市小八木町104の妙典寺の康元の板碑 阿弥陀如来、右下が観音菩薩、左下が勢至菩薩を意味。その下に「康元二年丁巳三月 日」の文字が、1257年(鎌倉時代の中ごろ)に造立、
・・この様に鎌倉、南北時代の石碑群あります・・・
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