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2015年5月 3日 (日)

上並榎稲荷山古墳と並榎城の削平

(上並榎稲荷山古墳と並榎城の削平の歴史)高崎市上並榎町は高崎経済大学がある地域ですが、「上並榎稲荷山古墳5C後半」(もしかしたら、観音塚古墳位の国指定級か、現在、天竜護国寺に古墳出土とされる舟形石棺の蓋が ) 前方後円墳 推定全長約120m、 上並榎町八反田、1960年頃削平・消滅 その高崎経済大学 1957年(昭和32年)開学・・・時期が符号します、また中世の「並榎城」(ほとんど知られていないですが一部面影がありますが削平、・・・、上並榎町地権者は歴史的地域資源より大学誘致か宅地開発をすべて優先。群馬県に幻の古墳と言われ多数あると聞いています、高崎市には100m級は2.3基しかないです・・

Dsc02015
(画像は高崎市の天竜護国寺の境内に上並榎稲荷山古墳出土とされる舟形石棺の蓋 ・・と説明文一切ないですがまちがいないです。)一般的には天竜護国寺は市指定重文の寺号勅額 (じごうちょくがく) が有名です。

・文化財も地権者いるわけですからどの様にしてもある意味自由です、高崎市下室田町中世の山城「鷹留城」は地権者は市内建設会社大手のTさんです6代目の社長この自然まま残すのですと、毎年会社一丸(100名~60名参加)となって草刈りや整備しています、民力ある地域が歴史的地域資源を守っています・・・