群馬学連続シンポジウム「例幣使道と両毛線」・・・県民リポーター公開
第28回群馬学連続シンポジウム「例幣使道と両毛線」(2015年6月13日 玉村町)
玉村町は日光例幣使道に関連して鉄道網敷設の計画が何度あり(地元が反対)中止なった歴史あり・・そう言えば隣町の安中市板鼻町も信越線の停車予定でしたが、地元が反対して群馬八幡駅になったときいています。
第28回群馬学連続シンポジウム「例幣使道と両毛線」(2015年6月13日 玉村町)
玉村町は日光例幣使道に関連して鉄道網敷設の計画が何度あり(地元が反対)中止なった歴史あり・・そう言えば隣町の安中市板鼻町も信越線の停車予定でしたが、地元が反対して群馬八幡駅になったときいています。
聞き書き 山の親父のひとりごと 3群馬編・・伐採・育苗・木馬(きうま) 東京の林業家と語る会編 森をつくる人サポーター羽鳥孝明 定価1000円 ・・本の紹介
東京の林業家と語る会
東京の林業家の話を聞くことで、都市住民が林業を勉強しようと始めた会。
浜仲間の会から枝分かれして東京の林業を勉強しようと始めた会。主に西多摩地域の林業家を講師に招いて都市住民が話を聞く企画を行っていた。
最近では、動力がなかった時代の林業の話を現場で働いていた人に聞く活動を行っており、その聞き書きは、「山の親父のひとりごと」として出版されている。のことその群馬編です
刊行に寄せてと 市川平治さん (烏川流域森林組合 代表理事組合長 元倉渕村村長)3ページ寄せ書きあります。・・・当本は一般の本屋には在庫ごあいません、市川さんご厚意で置かせてもらっています。
元少年A・「絶歌」・太田出版刊の本・・の出版社の(弁明HPリンク),本屋は・問われています・・・連続児童殺傷事件は人の世の親でしたら、絶対許されない事です、が後追いした週刊文春・新潮等々・・個人として売りたくないですが・・このブログに書くこと自体はばかれ、注文のみ対応・・
玉村町は日光例幣使道に関連して鉄道網敷設の計画が何度あり(地元が反対)中止なった歴史あり・・そう言えば隣町の安中市板鼻町も信越線の停車予定でしたが、地元が反対して群馬八幡駅になったときいています。
・榛名神社神楽殿の前にある、鎌倉から南北朝の1323年(約700年前)につくられた県内最古の鉄灯篭があります(笠は後世の補作といわれている、一般的な五輪塔等々でもあります)新田義貞が寄進したと伝承があります。
・「信玄矢立杉」と矢立スギは榛名神社の参道にあり、武田信玄が戦勝を祈願しと・・まこと真実風にいわてますがこれも全くの伝説です、(榛名町誌には全く根拠なしと、観光協会よりの話からと説明とされています)
・しかし、かならずし、伝説・伝承だけといいきれない背景があります、鎌倉幕府の権力者は上野国最大の拠点、榛名神社はさんで、旧榛名町長谷寺の白岩観音、と伊香保の水沢観音、(坂東33観音霊場)この二箇所のみ、上野国広しいえど源頼朝から北条氏に権力が移り、新田義貞らの鎌倉倒幕で南北朝の時代に、上記二霊場と榛名神社はそのもの重要な聖なる領地で、新田義貞が力を誇示する為に鉄灯篭を寄進したのではないかと思われる、
中世は生きるか死ぬかの時代で榛名神社も影響受け、内乱の時代に突入します、快良が承元四年(1210年)初代座主になり、南北朝の動乱に連動した榛名山座主職をめぐる大抗争に周辺にも影響あたえます、
戦国時代には座主職も置かれず衰退荒れ放題で、戦国後期には、武田、北条、上杉、今川氏・・長野氏、小幡氏と三巴、四つ巴の戦乱に,荒涼たる神社に武田信玄が戦勝を祈願しただろうか、これはわかりませんが、しかし、先祖同じくする源氏一門(足利・新田)新田義貞の(鉄灯篭を寄進を知っていて)思い寄せて祈願したかもしれません。