榛名神社の鉄灯籠と矢立杉・・伝承、かそれとも
・榛名神社神楽殿の前にある、鎌倉から南北朝の1323年(約700年前)につくられた県内最古の鉄灯篭があります(笠は後世の補作といわれている、一般的な五輪塔等々でもあります)新田義貞が寄進したと伝承があります。
・「信玄矢立杉」と矢立スギは榛名神社の参道にあり、武田信玄が戦勝を祈願しと・・まこと真実風にいわてますがこれも全くの伝説です、(榛名町誌には全く根拠なしと、観光協会よりの話からと説明とされています)
・しかし、かならずし、伝説・伝承だけといいきれない背景があります、鎌倉幕府の権力者は上野国最大の拠点、榛名神社はさんで、旧榛名町長谷寺の白岩観音、と伊香保の水沢観音、(坂東33観音霊場)この二箇所のみ、上野国広しいえど源頼朝から北条氏に権力が移り、新田義貞らの鎌倉倒幕で南北朝の時代に、上記二霊場と榛名神社はそのもの重要な聖なる領地で、新田義貞が力を誇示する為に鉄灯篭を寄進したのではないかと思われる、
中世は生きるか死ぬかの時代で榛名神社も影響受け、内乱の時代に突入します、快良が承元四年(1210年)初代座主になり、南北朝の動乱に連動した榛名山座主職をめぐる大抗争に周辺にも影響あたえます、
戦国時代には座主職も置かれず衰退荒れ放題で、戦国後期には、武田、北条、上杉、今川氏・・長野氏、小幡氏と三巴、四つ巴の戦乱に,荒涼たる神社に武田信玄が戦勝を祈願しただろうか、これはわかりませんが、しかし、先祖同じくする源氏一門(足利・新田)新田義貞の(鉄灯篭を寄進を知っていて)思い寄せて祈願したかもしれません。