観音塚古墳の里見石・・・何年来追っかけ(検証)しています
上野国観音塚古墳(6C末・1945年昭和20年に偶然発掘)・の里見石・・・何年来検証しています
昨日の上毛新聞では60トンの石(石室の天井石)は高崎市上里見町間野地域の湯殿山(中世後期の湯殿山城あたった)東側とほぼ結論づけたと・・・県埋蔵文化 右島さんら調査
.太田市周辺の中世の「新田荘」国史跡11カ所あり、それと先行した、(同等の遺跡が埋まっている)八幡神社周辺(上野国観音塚古墳等々)隣の河内源氏の里見氏、山名氏・・「八幡荘」南北朝時代は「新田義貞の鎌倉攻め」大集結した場所(たぶん、古墳、塚、山が集結の目安になった)、中世後期は板鼻町は山内上杉氏の守護所あったときわめて重要な地域と考えられると・・