産業廃棄物最終処分場
旧榛名町の十文字地区、産業廃棄物最終処分場に反対を・・・地元反対運動が盛り上がっています。
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旧榛名町の十文字地区、産業廃棄物最終処分場に反対を・・・地元反対運動が盛り上がっています。
長谷寺(ちょうこくじ)は、群馬県高崎市白岩にある金峰山修験本宗の寺院、本尊は十一面観音で、坂東三十三箇所第15番札所である、白岩観音とも。・・・奈良の長谷寺でもありません、まして鎌倉の長谷寺でもないです、・榛名神社・長野氏長年寺・里見氏光明寺・そして坂東三十三箇所第15番札長谷寺(白岩観音)です。
昨日ちょうど休みで、長野県の、佐久市望月商工会主催で武田邦彦講演会にいってきました。
上記画像はショキングはです、フクシマ原発!福島第一原発3号機 爆発だった、放射能汚染・・・ひしひしと・セシウム汚染地図 より
昨日広瀬画廊で始まった、山口たか子さんの個展に、抽象画、心象風景、難しいが面白い、すなおでない表現、ちょうと日本人的感性を捨象・・・・
昨日、県展で入賞した 早川明利さんの作品を鑑賞してきました、だれよりも、現代を警告、現況の時代性を、異彩な作品で感銘をうけました、予約していなかったのですが、歴史博物館講座 学芸員講演会、「中世上野の東と西」 面白そうなタイトルなので聴講してきました。
地元出身・(高崎市旧榛名町) ・清水一彦さん演出NHK土曜ドラマスペシャル『蝶々さん』11月19日(土)・26日(土) 総合 午後9時~10時13分<前後編>
演出のことば … 清水一彦
私事で恐縮ですが、NHK入局時に第一志望だったのが長崎放送局でした(結果は真逆の釧路局)。忽然と意外な景観が展ける坂の街が好きだったこともありますが、何よりも「和華蘭」と称せられる多国籍文化に惹かれたように思います。そんな万華鏡のような街、長崎を舞台に、かの有名な「蝶々夫人」をドラマ化できるとは、正に宿願を果たした思いです。「佐賀の乱」から始まる市川さんの原作は虚実相半ばし、その間を見え隠れしながら蝶が舞っている――そんなイメージを強く持ちました。その名の通り華麗な変身を重ねて行く蝶々さんの人生もまた、幻か現か定かならぬ、「胡蝶の夢」のようです。視て下さった皆様が、
一瞬でもその夢の世界に迷い込んで頂けたら幸いです。・・・NHKのHPより
・演出家清水一彦応援する会より
漂流する県都と東京新聞菅原記者の鋭い視角、前橋市の悲惨な状況を連載しています、これだけ歯切れの良い記事に共感。
詩人の街前橋は根本的に歴史的中世の享徳の乱以後、利根川をはさんで、前橋藩と高崎藩では、地域のかかり合いに文化的気質が違うのではないかと思う。
仕事で毎日前橋駅前を通るのですが、これが群馬県都の顔の駅ですか、駅前の惨状、(けやきモールの完全ひとり勝ち、独占禁止法にひっかからないかなと)、ひとごとですが、群馬県民として、淋しいですね、・・・結局だれが・・・
昨日、整備が進んでいると聞かされされていて、箕輪城とならんで、あまりにも有名な金山城に行ってきました、想像以上にいいですね、高山彦九郎記念館にも是非行きたかったのですが、あいにく月曜日休館日、記念館の周辺にある国指定史跡高山彦九郎宅跡附遺髪塚散策、その後近くにある地元では有名な浅野食堂のスープ焼きそば昼食、太田といえば焼きそば、美味かったです、来たついでに足利市へ足利学校と鑁阿寺(ばんなじ)散策。
金山城は関東の山城では珍しく石垣を多用とした城で「関東七名城」の1つです・昭和9年に国指定史跡に指定され近年日本100名城にも選定。 ・・・上州では、箕輪城とならんで、あまりにも有名な金山城です、整備が進んでいると聞かされされていて、想像以上にいいですね、上杉謙信の猛攻を耐えた事で難攻不落の名城ともゆわれている、その面影あります。
エンゼルトランペットはラッパのような花が下向きに下がって花を咲かせます、地植えするとこんなに大きくなります、ちょとめずらしいので写真を
高崎市観音塚考古資料館
歴史探求ウオークマップ コース ・その一 八幡台地の古墳めぐり ・その二 板鼻宿と鎌倉道めぐり ・その三 鼻高町の古墳と少林山めぐり
高崎環状線戸田書店高崎店を越えてすぐに, 三国街道の交差する下小鳥町西交差点から、100mほど西へ行った所に、「史跡 首塚入口」と書かれた標柱が立っています、・・・いつも気になっていたので、今日用事あって本屋の帰りにちょと時間あいたので寄ってみたらみたら、何と・・・・事件は約390年前の戦慄な事が、下小鳥村、全村虐殺される ・・・・高崎市下小鳥町は血に塗られた歴史が・・・枉寃旌表之碑、永遠に語り告ぐ為に、この碑を中心になってつくった人こそ偉大な歴史人であり引き継いだ下小鳥町内会方も崇高ですね。
以下、下小鳥町内会 碑文の全文
枉寃旌表之碑(おうえんせいひょうのひ)
この碑は、江戸時代初期高崎藩主松平丹波守康長のころ、下小鳥村のほとんど罪もない村人たちが藩の役人武士たちに殺戮されたという言い伝えをもとに明治34年建立された、慰霊碑である。碑文によれば、この事件は、藩主とその役人武士たちが、あまりにひどい政策を行ったことに対し、農民は強く反目する、そしてこれを怒った役人武士たちは、元和3年(1617年)正月4日、この村の老若男女全員を殺害してしまったというのである。そして殺害された村人たちの状況や心情を推量描写し、その心をいたみ万感をこめて霊を慰めている。撰文は真塩紋弥で群馬町生まれ、明治13年(1880年)秣場騒動の指導的役割を示した人という。口伝されている、この事件を裏づける資料は現在のところ発見されていない。碑裏の小さな自然石「三界万霊塔」は、昔からの供養塔であろうか。
下小鳥町内会より
総軒数312軒、本陣1、脇本陣1、旅籠54(天保14年(1843年))。碓氷川の川止めが多く、中山道上州七宿の中では最大級の宿場、板鼻宿。・・江戸時代の名残りが・・・、当時凄かったのでしょうね
本日は会社でインフルエンザ予防接種です・・目の前で小学一年生の男の子、平然とすまして、痛がらいないのです・・・嗚呼痛い痛いと思ったが全く・・・
「第10回道祖神の里めぐり」・・・倉渕公民館主催に NPO源流会員として地元農産物販売のひとつとして、地元の関連書籍を販売です、・・・後半雨のふられました。
・上記写真パネルは倉渕公民館の隣の多目的集会所2階研究室です、全国の道祖神の写真50点、貴重で見ごたえあります。ここ倉渕は長野県の安曇野に次いで全国の道祖神の宝庫です、ここ10年で群馬県を代表する道祖神のイメージに定着しました。