■緊急告知:来る7月7日(月)~11日(金)まで5日間スーパーうおかつ大改装伴い当店も閉店いたします。(何と開店以来18年ぶりの大改装です)
(但し: 定期のお客様対応の旨・一般方可能:午前9:00~午後1:00まで外出入口開けてあり開店します)
・伝新田義重夫婦の墓とつたえています・・義重の四男の義季、新田荘の女塚、押切、世良田、上平塚、下平塚、三木を譲られ、徳川に館を造り、徳川氏を称した、古来よりこの一郭は義重夫婦の墓と・・・
・太田市徳川町383-2
・上野国新田祇園牛頭天王縁起によると、貞観十八年(八七六年)丙申に上野新田のほとりに、 社を作らば静まるべしと、・・・ 都八坂の祇園社で、祇園祭を行い給いしより、 天禄三年(九七三年)に当社も祭礼として行われた。・・世良田八坂神社HPより
・明治初期の(神仏分離令)により、神社と寺院は分離され、神社の境内仏堂などは撤去され、僧侶と神官も区別された・・・神宮寺は廃寺になり、社名を八坂神社とし・・何となくお寺の面影が・・
・太田市世良田町1497
・他 総持寺(新田館跡・館の坊)国史跡 ・普門寺(国史跡)・満徳寺 ・永徳寺 ・大館氏館跡 ・矢止め松 ・二体地蔵塚 等々・・第四弾散策
・八幡荘(やはたのしょう)を歴史的位置づけるために、ず-と・・・中世の対比になる新田荘歴史景観を研究しています、・・・・当分つづきます・・
・新田氏一族・江田行義の館跡と伝えて・・中世の館跡は廃絶されると寺や社が建ったり、堀が埋められて例がほとんどです、江田館跡は本丸跡に建物なく、堀、土塁、完全かたち残されいる貴重な遺跡です・・平成12年に「新田荘遺跡」として国に史跡に指定。 築造年を示す史料はありませんが、反町館跡と同様、鎌倉時代から南北朝時代の築造と推定されます・・実際の現地で行ってみて、これぞ中世の館ですね、すばらしの一言です。
・太田市新田上江田町924-1
・矢太神水源や重殿水源とともに新田荘の豊富な湧水のひとつ、北西の角に祠が三基あり、古代から綿々と湧き出ているそうです、新田荘は湧水の郷(まち)です、近くに新田義貞挙兵伝説地の生品神社がります、
・・平成12年に「新田荘遺跡」として国の史跡に指定 ・・しかし
・正直ここは、現地にいかにないほうが、写真等々歴史的想像ほうが・・水源 工場の裏でコンクリートで・・公園化は無理だったのでしょうか・・
・太田市新田市野井町1472-1
・他・牡丹の寺有名な大慶寺 ・矢太神水源 ・生品神社 ・反町館跡 ・長慶寺 ・田中神社 ・長源寺 ・富沢・生品神社 ・・・最後に円福寺 ・十二所神社・茶臼山古墳へ・・・散策第三弾
・荒牧については、源平盛衰記に「義経は上州荒牧と云所にて伊勢三郎義盛と主従になる」とあってまた荒牧神社は元は伊勢神社で、伊勢氏が勧請し平安時代から存在したと伝えられ、現在の社殿は江戸時代の宝暦年間に建て替えたそうです。・・荒牧町自治会のホームページより
・ちょとコンビニにコーヒー買いに、以前から荒牧との地名に関心が、近くに荒牧神社とがあり、古代から牧の産地(渡来人が・・馬)ではないかと・・調べた上記、源平盛衰記に「義経は上州荒牧と・・歴史が綿々と
・それにしても上記自治会のHP立派ですね、民力高いです・・
上毛新聞 8日(日)読書欄 キーマンの書棚で 「新田義重」久保田順一先生 戎光祥出版 紹介しました。何週間前に取材を受け、昨日掲載されました。
「里見氏をたどる資料となる一冊」と話すと・・里見の郷委員会事務局長 中嶋講二
・いろんな方から問い合わせいただき、ありがとうございます、以前一度面識ある、太田市新田義貞公顕彰会の茂木会長さんから、直接電話いただいて、大変恐縮しています。
・「里見の郷再発見伝」第2号里見氏と長野氏発刊と ・・・連動しています。
テーマは「里見氏と長野氏」です、中世の高崎市西部地域の特色である「八幡荘(やわたのしょう)の里見氏」「長野郷の室田長野氏(鷹留城)」の概要を知る上で大変重要であり、地域の歴史を生かしたまちづくりのためになるよう特集しました。