高崎市城山町考楽会 講演会
多胡郡“正倉院”“法倉”が立ち並ぶその背景をを考える・・横倉興一先生、高崎市城山町公民館にて
高崎市茶臼山城跡を整備等々地域づくりを長年やっている、考楽会の木村さんからお誘いの電話いただいたもので(いつも歴史を活かした~来ていただいて旨)返礼あいさつ兼ねて、講演会に行ってきました。(
多胡郡“正倉院”“法倉”が立ち並ぶその背景をを考える・・横倉興一先生、高崎市城山町公民館にて
高崎市茶臼山城跡を整備等々地域づくりを長年やっている、考楽会の木村さんからお誘いの電話いただいたもので(いつも歴史を活かした~来ていただいて旨)返礼あいさつ兼ねて、講演会に行ってきました。(
歴博友の会講座 先月の古代 1 「群馬のはじまりー古代の地方行政」 古代 2 「発見された群馬の古代役所」太田市文化財課 小宮俊久先生 会場 旧新町のガトーフェスタハラダにて・
・古代の役所とは ・発掘された群馬の郡家(ぐうけ)跡(現在の市役所)
多胡郡正倉跡 多胡郡家 (高崎市吉井町岡、多胡碑の約400㍍南で礎石建物跡を確認・下画像、特徴、建郡の碑がある年代がわかる、和銅4年・711・設置、瓦屋根の倉)
と 八幡中原遺跡 片岡郡家(高崎市八幡町、八幡中南100㍍)近くに、平塚古墳、二子塚古墳、観音塚古墳があり、特徴、礎石建物跡3棟、大溝、片岡郡征倉跡。
.高崎市旧榛名町の「室田町」の名称について考える。
榛名山村、上室田村、中室田村、下室田村・・10世紀頃から中世榛名神社の文化圏です、がとくに榛名山村は秀郷流藤原氏の庶流、佐藤氏、小山氏、と土豪が綿々今でも土着しています・・
『榛名』はるな・ハンナ名称は一般的、渡来系とみなさんあえていいません、旧榛名町の室田町『室田』は『毛呂田』これもあえて、言明しません(いや知るよしみない)が昔の人は、何故、毛呂田を室田に名称変更したのでしょうか、古墳時代は『上毛野国』かみつけぬのくにと言われ現在でも「上毛新聞等々」とっても豊潤な土地な良い名ですが(太田市毛里田町や入間市毛呂田山等々全国あります)。
・注・・毛呂田の名が初文献に登場は・・応安4年(1368)榛名神社文書「沙弥某奉書」(室田町誌)だそうです、「室田」は文字初見は永正9年(1512)「上杉憲房禁制」(長年寺文書)。
・中室田大久保の滑川左岸の道一段高い所に岩井堂観音裏の大洞窟(穴)は「ムロタ・モロタ」ではないかと「室田」地名発祥の地ではないかと・・・今井英雄先生が〈ぐんまの地名〉で書いています。
・中室田大久保の吉祥寺旧地付近から大量の中世石造物発見されている、板碑3基、宝きょう印塔15基、五輪塔100基以上あった、まちがいなく有力な武士団の存在が綿々と・・長野氏の重臣、家臣団ではないかと(榛名町誌・資料編の中世から)
・大久保集落の最上段に石井氏の本家があり、一般的に大久保の砦(石井讃岐館)といわれ、鷹留城の外護の砦の位置づけであり、東北方鬼門に稲荷大明神があります。
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