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地域おこし里見の郷委員会 Feed

2016年2月26日 (金)

第6回NPOボラフェス搬入

第6回NPOボラフェス搬入 高崎市 第6回 NPOボラフェス 参加団体60団体 多種多様な方活動しています。

2016年2月21日 (日)

歴博友の会講座 郡家(ぐうけ)・・古代の役所

歴博友の会講座 先月の古代 1 「群馬のはじまりー古代の地方行政」  古代 2  「発見された群馬の古代役所」太田市文化財課 小宮俊久先生 会場 旧新町のガトーフェスタハラダにて・
・古代の役所とは ・発掘された群馬の郡家(ぐうけ)跡(現在の市役所)

多胡郡正倉跡 多胡郡家 (高崎市吉井町岡、多胡碑の約400㍍南で礎石建物跡を確認・下画像、特徴、建郡の碑がある年代がわかる、和銅4年・711・設置、瓦屋根の倉)

と 八幡中原遺跡 片岡郡家(高崎市八幡町、八幡中南100㍍)近くに、平塚古墳、二子塚古墳、観音塚古墳があり、特徴、礎石建物跡3棟、大溝、片岡郡征倉跡。

『和名類聚書』によると、群馬(上野国)は14郡家あるそうです。・・近くの 片岡郡家と多胡郡家
郡家
郡家

2016年2月18日 (木)

「時をつむぐ会」・・人を巻き込む地域のプロジェクト

高崎市の絵本の専門店「本の家」の「時をつむぐ会」の続木美和子さん・・月刊誌 ソトコト3月号に 特集人を巻き込む地域のプロジェクトとカラー写真2ページ大きく紹介されています。 時をつむぐ会

・本屋さん携わる方屁理屈ばっかりで、(自分含めて)多数派ですが、続木さんちがいます、行動的すばらしい方です、高崎市を巻き込んで大きな原画展やっています。

2016年2月13日 (土)

国立歴博講演会

国立歴博講演会 石碑の中に歴史を読むに 三上喜孝先生の講演会にいってきました、ここ何週か国立歴博講演会に通っています、 三上喜孝先生著書 『日本古代の貨幣と社会』吉川弘文館 2005 『日本古代の文字と地方社会』吉川弘文館 2013 『落書きに歴史をよむ』吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)2014 歴博講演会

2016年2月 9日 (火)

「毛呂田」は「室田」に名称変わる、いつから

.高崎市旧榛名町の「室田町」の名称について考える。
榛名山村、上室田村、中室田村、下室田村・・10世紀頃から中世榛名神社の文化圏です、がとくに榛名山村は秀郷流藤原氏の庶流、佐藤氏、小山氏、と土豪が綿々今でも土着しています・・
『榛名』はるな・ハンナ名称は一般的、渡来系とみなさんあえていいません、旧榛名町の室田町『室田』は『毛呂田』これもあえて、言明しません(いや知るよしみない)が昔の人は、何故、毛呂田を室田に名称変更したのでしょうか、古墳時代は『上毛野国』かみつけぬのくにと言われ現在でも「上毛新聞等々」とっても豊潤な土地な良い名ですが(太田市毛里田町や入間市毛呂田山等々全国あります)。

・注・・毛呂田の名が初文献に登場は・・応安4年(1368)榛名神社文書「沙弥某奉書」(室田町誌)だそうです、「室田」は文字初見は永正9年(1512)「上杉憲房禁制」(長年寺文書)。

・中室田大久保の滑川左岸の道一段高い所に岩井堂観音裏の大洞窟(穴)は「ムロタ・モロタ」ではないかと「室田」地名発祥の地ではないかと・・・今井英雄先生が〈ぐんまの地名〉で書いています。
・中室田大久保の吉祥寺旧地付近から大量の中世石造物発見されている、板碑3基、宝きょう印塔15基、五輪塔100基以上あった、まちがいなく有力な武士団の存在が綿々と・・長野氏の重臣、家臣団ではないかと(榛名町誌・資料編の中世から)

・大久保集落の最上段に石井氏の本家があり、一般的に大久保の砦(石井讃岐館)といわれ、鷹留城の外護の砦の位置づけであり、東北方鬼門に稲荷大明神があります。

2016年2月 6日 (土)

榛名地区第一回意見交換会

高崎市地域づくり・支え合い体制推進ネットワーク協議会 榛名地区第一回意見交換会に出席 榛名福祉会館にて

2016年2月 5日 (金)

馬庭念流道場

馬庭念流道場. 念流は相馬四郎義元(慈恩念大和尚)が創始した 馬庭念流道場

2016年2月 4日 (木)

和泉の日根荘 絵図

和泉の日根荘 絵図
和泉の日根荘 絵図

2016年2月 3日 (水)

歴博 ・何故遣欧米使節団に咸臨丸ですか・・

又佐倉市の歴博にいってくる、先週(2時間)と昨日(3時間時間かける、まだまだ、見終わりません)と、やはり歴史通史は勉強なります。 ・何故遣欧米使節団に咸臨丸ですか・・ポーハタン号でしょう。
歴博 誤りの表示

2016年2月 2日 (火)

今日、2月2日22時~NHK②Eテレ  『知恵泉』 で小栗上野介を紹介

今日、2月2日22時~NHK②Eテレ  『知恵泉』 で小栗上野介を紹介放映します
夢は大きく!でもプレッシャーに負けそう…。今回の主人公は幕末日本に近代文明を導入しようとした幕臣・小栗上野介。壮大な夢への挑み方の知恵を天文学とお得なセットで!

大きな夢をあきらめない!身に余る仕事のプレッシャーに負けない!勇気と知恵の主人公・幕末の幕府重役・小栗上野介。日本がちょんまげの時代、しかも動乱で組織が大揺れのなか、小栗は“徳川による近代文明”という壮大な夢を描き、第一歩として横須賀に「造船所」建設を目指す。小さな一本のネジに詰め込まれた現代日本の原点とは?壮大な宇宙の謎に挑む天文学者・渡部潤一さんと、小栗の大きな目標の目指し方に迫ります・・・NHK②Eテレ  『知恵泉』HPより

2016年1月29日 (金)

多胡郡周辺に「正倉」の遺構・・古代蘇る

高崎市旧吉井町の国指定、多胡碑・周辺の発掘調査で、多胡碑と同時代の大規模な高床式倉庫「正倉」の遺構が見つかったと発表した。 ・・・本日地元紙に紹介記事、多胡碑の近くの発掘調査団仮小屋に担当者場所訪ねて現地早速行ってみましたら、あいにくの小雨でシートかぶせてあり残念・多胡碑・和銅4年(711)ですから、約1300年前の「正倉」の礎石・この時間軸・・古代から歴史が綿々と蘇る。
多胡郡

2016年1月27日 (水)

国立歴博へ

休み使って10年ぶりかな、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館にいってきました、京成上野駅から特急で約1時間(720円)、佐倉駅からバス5分、やはり圧倒的設備です、来月13日にどうしても聴講したい講演会がある旨、下準備のために・・・以前はできなっかたですが、展示品一部除いて、写真可なのです。
国立歴博へ
国立歴博へ
国立歴博へ

2016年1月23日 (土)

歴博友の会講座へ

歴博友の会講座・・・古代1・・群馬のはじまり・・古代の地方行政・・ 高島英之先生 会場 旧新町のガトーフェスタハラダにて・・
・資料がA421Pで・・1上野国の成立から始まって・・分厚い資料です、これだけ理解するのは並大抵ないです。でも大変勉強になりました。
歴博友の会講座
歴博友の会講座

2016年1月20日 (水)

第6回のNPOボラ・フェス・・告知チラシ

第6回のNPOボランティアフステェテパルが2月27日(土)旧群馬町の足角町市民活動センターソシアスにて・・当地域おこし里見の郷委員会も第2回から連続して参加しています。・・今回は参加団体60の団体です、高崎やる気堂の関口真作中心の実行委員長と、合併の新高崎市(旧町村)から選抜して副実行委員長として、まとめ役的に参加しています。
フェス
・昨年の第5回NPO・ボランティアフェスティバル(2015年2月28日 高崎市)

2016年1月19日 (火)

予報どうり雪

18日(月)午後3時l頃の画像です・・予報どうり雪
予報どうり雪
・高崎市全体の第6回のNPOボランティアフステェテパルが2月27日(土)旧群馬町の足角町市民活動センターソシアスにて、60の参加団体の代表が最終打ち合わせの会議に10時からですが当方(地域おこし里見の郷委員会)遅れて11時の出席する、雪の翌日ですがほとんど出席(約10団体位欠席)

2016年1月16日 (土)

上野村シンポジュームへ

上野村シンポジューム・・第8回新たな多数派の形成をめざす・・上野村小学校にて
・コーディネーター 哲学者内山節 講演会:下仁田町副町長 吉弘拓生氏
・分科会:4グループ分かれて
上野村
上野村
・2・3年前に友人とシンポジュームへ行っていらいかな、今回は「南牧村に学ぶ会」から情報いただいて、忙しかったですが、意を決して聴講してきました。

2016年1月12日 (火)

来迎寺 五輪塔他群

高崎市浜川町の来迎寺 よーくみると五輪塔と宝篋印塔が本来ない重なっています、長野氏累代の墓とうたっていますが、歴史の(遺物)後作りそのもので、ガッガリさせられます、(大正12年ごろ(約90年前)、長野氏の子孫の人たちが発掘し、石塔の組み方に寄せ集めたそうです)子孫の方とって、顕彰したいです、長野氏の無名な家臣団の墓でしょうか、・・至徳元(1384)年、応永9(1402)年、永享11(1439)年、寛正4(1463)年、応仁3(1469)年、等々の銘があるそうですから貴重です。

・先祖神話為か歴史的な遺跡は、権力者は歴史の後書き、潤色をたびたびします、
来迎寺 五輪塔他群
来迎寺 五輪塔他群

2016年1月11日 (月)

宝塔

画像1は旧榛名町、本郷町字寺内、安養寺跡の宝塔はにある高さ220センチの大きな宝塔で、永元年(1521)か天正9年(1581)の銘が今から435年前に本能寺の変の頃
画像2・3は、前回紹介しました、白岩町の白岩の長谷寺に南北朝の宝塔2基
宝塔
宝塔
宝塔

2016年1月10日 (日)

旧群馬町の菅谷大壱寺宝塔

旧群馬町の菅谷大壱寺宝塔
、康永2(1380)年、永和9(1383)年、明徳4(1393)年の銘を持つ3基の宝塔で、南北朝時代造られた、・・今から約670年前の宝塔と五輪群は戦国後期・・近くのコンビニでコーヒー飲んだ途中のよってみました・・いつみてもほれぼれします。

・関連で前回も書きましたが、ある講演会で、はじまりは井伊氏から、高崎市の歴史が始まったと公然と言明する高崎学の堤先生は(意識的か無意識的か合併の新高崎市(町村)の歴史を無邪気に切り捨てている)、旧高崎史ではたしかにうなずけるが、新高崎史では誤謬でおかしい、稀代の古代があって、高崎城の近世があって、中世が全くないように誤解されてしまいます、これで良いのかと問いたい・・・

関連ブログ 13/09/13 記事(3年前に投稿) 菅谷大壱寺宝塔

2016年1月 3日 (日)

高崎市上大島町安養寺跡の笠塔婆

あの有名な長楽寺 石造宝塔(鎌倉時代中期、太田市)と同等といわれている。高崎市上大島町安養寺跡の笠塔婆(文永元年1264と銘文・今から752年前に)群馬県最古の笠塔婆、鎌倉後期)笠石の供養塔 願主沙弥西仏(しゃみさいぶつ)敬白・
・旧高崎市(戦国後期の井伊直政が箕輪城から高崎に移る1598慶長3年)、その334年前に鎌倉期の石造が旧榛名町に綿々と、新高崎市のとっても大変貴重な重文・国指定級文化財です。・・・新田義貞公生誕地の伝承がいまでも語れています。

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過去の関連ブログ
・地域(郷土の歴史資産)とは何か・ 13/08/17 記事
・約190年位前からの桜 13/03/27 記事
・万福寺と金龍寺の宝塔 13/03/23 記事
・楽間の宝搭と本郷の百庚申塔 13/03/19 記事
・しどめ塚古墳と本郷の安養寺跡の宝塔 13/03/15 記事